君の背中の奥ひらく晴天はいつもさみしい色だ。これきりにしないよう必死に伸ばした右の手が彼の制服の裾を摘まんで、きゅうとちいさく引き寄せようとした。戸惑うように振り返った彼は僕の顔を見て更に動揺して、声にもならず開いた唇が「なんだ」と動いたことだけわかった。
はじめに話しておくと僕が彼とこうして向かい合うのははじめてのことで、彼が僕を知るのももしかしたらはじめてのことなのかもしれない。はじめて尽くしのこの接触がまさか高校三年三月の卒業式、それも式もクラスでのあいさつも集合写真も何もかも終わった昇降口をでてすぐのこの場所で起こるとはきっと彼も思わなかっただろうし僕も思いもしなかった。どこか浮足立った周りの空気につられてなのか、彼の頬はいつもより少しだけ火照っている。そうしてふたり固まっていると彼の母親なのだろう、ひとりの女性が僕たちに向かって「お友達?」と声をかけてきた。その声にはっと我に返った彼は、慌てた様子で僕らの関係の言葉を探している。探そうとしたところできっと見つかるはずもないのだ、きっと嘘を吐けるような彼でもない。彼がしらない、と首を振ってしまえばこの服の裾はあっという間に離れていく。
僕は彼の言葉を遮るようにして、それはもう大きな声で「そうなんです、かれとはよく、登下校の時に」と答えて、いっそう強く彼の裾を引いた。嘘ではないのだ。僕にとっては嘘でない。彼にとってそうではなくても、僕は彼を見つけるたびに、小さく芽生えた友情を燻らせていた。
君の背中の奥ひらく晴天はいつもさみしい色だ。車窓から漏れる陽の光。新緑。流れていく葉からのぞく北風。そんなものをいつも背にして、文庫本を手のひらに閉じ込めていた彼。伏せたまぶたから伸びる睫毛は影をつくっていたのだろうか。僕は、いつも遠くから彼を眺めていたものだから知ることができなかった。君が背にした世界の色を見つめることに精一杯だった。ねえ、君の背中の奥ひらく晴天はいつもさみしい色だ。これ以上の言葉も出ないまま彼に縋る。彼にゆだねる。希望みたいな名前の塵でも希望みたいな名前ならゆるしてくれ。
「うん、そうなんだ。友達なんだ」
そういって君、裾を掴む僕の手をはらって、はらってから、握ってくれた。はじめましてって、ふたりきりになった明日にでも言えたらいいのに。言えたらいいのに。
「だから、母さん。一枚だけ。写真を」
言えたらいいのに、明日もう僕も君も、ここにはいないね。君の背中の奥ひらく、あこがれはいつもさみしい色だ。握られたてのひらに、僕らの汗がにじんでいく。
(2019/08/29)