夜も朝も昼も夜も(3/4)

詩のようなもの

PM 13:00

窓の奥の首都高やビルの屋上の縁を誰かが歩いている。そうやって眺めている日のことをわたしは快晴と呼ぶ。変わりばえのしないサンドイッチも、野菜スティックも、水筒にぶち込んだただの水も。ぼんやりと何もかもが白く滲んでいく。そうやってうすい輪郭をした室内に閉じ込められている時が、いちばん幸福だ。きっと幸福だ。君もそうだといいのに。君もそうなら、きっといいのに。

PM 17:02

僕にとってのあなたを振り返る頃一日が終わりそうになる。肌から浮く汗水が季節を教えてくれたけどちっとも嬉しくない。そろそろ日は落ちるのだろうか。沈むだろうか。それとも、傾くだろうか。それはどんな色をしているだろうか。できることならむらさきいいろが混じっていると嬉しい。だって。あなたによく似合う。
あい、という言葉の意味を真剣に考えた人はこれまでにいくらいるだろう。僕は考えただろうか、あなたに向かって考えたのだろうか。未だにわからないけど、わからないまま僕はあなたにとっての僕でいたくて、あなたがいちばんはじめに伝えたいことはできる限り僕であってほしい。

つらいことだとかかなしいことだとか惨めなことだとかそんなものを目の当たりにしても、「あなたとの時間以上のことなんて絶対にないから大丈夫」って呪文の代わりにあなたのなまえを唱える。それはあいというよりももうそれは、ただの、自分への暴力で、リストカットとかわらないことだよと誰かがいった。僕もそう思う。笑ってしまうけど、笑ってしまったけど、僕も本当に、その通りだと思う。
あい、の言葉の意味よりも、僕は、今でもあなたの傍にいたいのかとか、あなたとどうかなりたいのかとか、あなたにとっての僕でありたいのかとか、ずっと、そっちの方が大切でいる。つま先が冷えるね。こんなにあついのに。僕はエアコンの温度を覗き込む。

(2020/01/29)

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